「'女装で生きる’に待った!」【女装業界健全化宣言】「生きたいように生きろ」の無責任さ@快刀乱麻

 


暑いですね・・・

たっているだけで汗がふきでてきます。

昨日も都内内某公園にいましたが、

汗がやばくて・・・

ハッテ○どころではなく女装子さんと

車のクーラーにあたりながらしゃべってました。


今回の話題は・・・

「生きたいように生きろという無責任。

それができるのは経済的自由と身体的健康が

ある人だけ」

フルタイム女装になるのはちょっと待って!!

よく考えるべきだ。




というお話。

最近、中年の女装子さんを中心に広がる

「フルタイム女装の誤謬」を中心に。
耳の痛い話かもしれないが、

私は「生きたいように生きろ」などと無責任な

ことは言えない。

だからあえてぶった切ることにする。

さぁ本日もまいろう、快刀乱麻。


■「 今を生きるために自分のやりたいフルタイム女装を」
が危うい。「生きたいように生きろ」という無責任。



■フルタイム女装化で男性としてのキャリアを捨てる
女装子たち。


ここ最近業界内で遊んでいて、よく聞く話がある。

「仕事をやめた。女装で生きるために」
「仕事やめてBARでも開こうかと思う。フルタイム女装のために」


要は、
男性として趣味女装子をやっていた女装子さんが
男性としてのキャリアを捨て、
フルタイム女装として生きることを決意するのだ。

とくに30代の女装子さんに多い現象だ。
30代となると男性キャリアであれば
中間管理職か、
上がれずに平社員でいるままである場合が多い。
これはどのパターンでも非常にストレスの多い職種だ。


最初は30代で女装という存在を知り、
ストレス解消に趣味で女装活動をするのだが、
趣味で女装活動をしているうちに
「女として生きていく」と決意しはじめるのだ。
女性ホルモンをはじめ、
男性生殖器の機能を失い、
思考すら女性化していく。
こうなるともういよいよ男性キャリアの未来像を
描けなくなり、
「フルタイム女装で女性として生きていく」ことを
決意するのである。


■「生きたいように生きろ」という無責任すぎる発言


私の知り合いの女装子さんにも
同じようにフルタイム女装をしていくことを
決意した女装子さんがいた。

そのときすでに38歳。
私は全力で止めた。
理由は後述するが、
全力で止めた。


しかしそれを上回る賛成の声の数々が
彼女を男性キャリアを捨てることを後押しし、
彼女は今フルタイム女装として生活している。
そのときに必ずといっていいほど出てくる言葉がある。


「生きたいように生きろ。人生は一回なんだから。」


である。


前置きとして人生とは本人が幸せであれば幸せ
なのであって周りの評価などどうでもいいので、
あくまで人生の評価主体はその人生を生きる
本人なのだから、
本人以外には人生を評価しえないことは言っておく。


しかし、生きたいように生きろ、とは非常に
無責任な発言だとつくづく思う。

この世で生きたいように生きれる人間は
以下2つの条件がそろっていないと不可能だと
考える。


・経済的自由がある
・身体的健康がある



要は自由に経済的に自由で(仕事をしなくても生きていける)
健康(身体的な健康)があってこそ、
本人がやりたいように生きれるのだ。

多くの方は
経済的自由を得ることなく一生を終える。
いいか悪いかではなくこれが事実だ。
だからこそ多くの人は60歳70歳になっても働き続ける
のではないか?
今、この瞬間に10億円をもらって
仕事をやめない人間のほうが少ないはずだ。

なぜ働くかはキャリアアップや人生経験など
さまざまなモチベーションがあることはたしかだが、
まず根底には「経済的動機」すなはち、
仕事で収入を得ることがあるのだ。


男性キャリアを続けていれば
ある程度の安定性と
収入を確保できたのにもかかわらず、
多くの方々は、
女装をフルタイム化することで一気に
職業口を減らし、
安定性のない低賃金で働く世界に
身を投じるのである。


そのような世界に身を投じようとしている人を
目の前にして
「生きたいように生きよ」というのは、
その人が根っからの金持ちの家に生まれているか
すでに社会的成功を収め経済的自由を得ているか、
それ以外にはまず間違いなく出てこない発言
ではないだろうかと思う。


実際、
私が止めたにもかかわらずフルタイム女装をした
女装子さんはフルタイムをはじめて1年後、
ひさびさに某所で再会した私にこういった。


「止めてくれたのはあなただけ。
そして今私は仕事をやめたことを非常に後悔している。
戻れるのなら戻りたい。」



切実だった。
しかし、39歳となった彼女に待ち受けているのは、
39歳という年齢からの
正社員求人の少なさと再びキャリアを再スタート
させるという試練なのだ。





 

■本当に女性になりたいのかよく考えよ。
逃げのための女性化は人生を悪くするだけ。
似非GIDにはなるな!



■本当に女性になりたいのか。
逃げのための女性化は人生を悪くするだけ。
逃げ癖は一度つくとなおすのは極めて困難。


本当に女性になりたくて
フルタイム女装を選択する方もいる。
いわゆるGIDの方だ。
であるのならば、
さきほどものべたように人生の評価主体は自分であり、
GIDさんのもっとものぞむことは、
「こころの性とからの性を一致させること」
なのだから、
それを実現するための一歩として
フルタイム女装をし、
ジェンダー女性化することで
大きな実現への一歩を遂げるのだ。
私はそのようなGIDの行き方を否定する
つもりは毛頭ない。
(山田屋さんのようなGID完全否定主義者もいるが、
それはそれで彼女のキャラクターだからいいじゃないか)


しかし、
本当のGIDさんはごく少数なのではないかと
最近考えるようになった。
いわゆる「似非GID」がこの業界には非常に多い。


この似非GIDは、海外LGBT界隈でも
「フェイクGID」として話題
になっており、
栗原女史もコラム化している「自己女性化愛好症」
とよく混同されがちなのだ。


女装業界をしめる多くの方は
「お遊び」としての女装であり、
業界内にいると非常に居心地がいい。
男性ジェンダーを押し付けられてきた女装子さん
たちは業界内だけでも多くの男性が自分を
女性扱いしてくれることに私服の喜びを感じ、
みな趣味の世界の遊びだから年齢差や
社会的身分差もこの業界内ではなくなる。


この「居心地のよさ」が
普段いきる社会と対比的に評価され、
「女装生活を逃げ口上」にし、
女装子さんを
フルタイム女装とするのだ。
はっきりいって逃げのフルタイム女装が
後を絶たない。



そしてフルタイム女装の働き口は
たいてい不安定で低賃金なのだ。
それでも自分の選んだ道を納得し、
貧困層として生きていくことを余儀なくされる。


本当にそれでいいのだろうか。



■趣味だからこそいいのだよ、女装は。


トランスジェンダーの論客として90年代を支えた
「女装と日本人」の著者三橋順子先生も
自身のエッセーでこう語っている。




女装で働こう、女装を仕事にしよう、
なんて思わない方がいいのです。
女装はあくまでも「遊び」、趣味であるからこそ楽しいのです。
責任を背負うこともなく、お店の客の入りを心配することもなく、
気が向けばフラっと夜の街を散歩できる自由、
それを大事にしてください。
いつの間にか、女装が仕事になってしまった
私が言ってるのだから、
まちがいないのですよ。




趣味だからこそいいのだ、女装は。


女装を仕事にしてしまいフルタイム女装をしている
女装子さんが口をそろえていく言葉がある。


趣味で女装をしているときが
一番楽しかった



この言葉にさまざまな
思惑が凝縮しているのだ。


栗原女史にこの話題を提案したとき
栗原女史には正直却下されるかと思った。
しかし、こうして掲載されているということは
栗原女史もフルタイム女装として生きる自分に
とってのアンチテーゼとなる私の論評に
共感する部分があるのではないかと思う。



生きたいように生きろ。



その通りなのだ。
しかし、これだけでは伝わりきらない
部分がある。

だから、
最後に私はこの言葉をこう言い換えて、
締めくくろうと思う。



生きたいように生きろ。
その代わり生きたいように生きた結果
低賃金になろうとも不安定になろうとも
結果を後悔したとしても
その決断に後悔はするな。
覚悟がある者だけ生きたいように生きろ。






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image この記事書いた人:チョン万次郎
女装業界をぶった切る!
業界のラストサムライ・チョン万次郎の
「快刀乱麻~業界健全化宣言~」
コラム執筆者:チョン万次郎

関西在住の年齢は非公開。
昔から女装子さんが大好きでおいかけてきた。
近年、盛り上がる「女装」にまつわるさまざまな事柄。
これに少し違和感を感じながらも、
次の世代のよりよい女装業界を想い、
コラムを書き続ける。
嫌いなものは「出入り禁止」

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