京都の女装業界史(1) 2009年-2012年(勃興から全盛期へ)

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大阪や東京は人口の多さから

女装業界の発展も早かった。

そんな中、異例の発展をみせた京都の歴史を

今回振り返る。

 


2000年代中盤の女装サロンブームに始まる

女装コミュニティ図の一変。

これまでの公園・発展場中心の女装コミュニティが、

女装サロン中心に移行した。

 

大阪では、新大阪ゴシップ、日本橋アヴァン、

京橋アヴェニュー、難波小悪魔と次々に

マンションの1室を店舗とする「ルーム系女装サロン」

が隆盛した。

 

その同時期、京都でも女装業界は着々と

発展していっていた。

 

今回はそんな2009年-2012年まで

全盛をほこった京都の女装業界史について

コラムしてみたいと思う。


■鳥羽離宮跡公園から派生

 

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京都の女装史で外せないのが

鳥羽離宮跡公園だ。

2000年よりも前から、

女装子さんやニューハーフさん、

LGBTたちのコミュニティの中心が

鳥羽離宮跡公園であった。

 

今でこそ、平日に2,3名、

週末でも10人程度の鳥羽離宮跡公園だが、

その頃の鳥羽離宮跡公園は、

平日週末関係なく、常時20人以上は

公園にきてお話をしていたという。

 

公園内でお酒を持ち寄り宴会、

お散歩、トランプを持ち寄りゲームをするなど、

本当に盛り上がっていたという。 

 


■女装BARや女装サロンの登場

 

 

2000年代中盤になり、

京都 発の女装BARr一条が登場した。

 

三条木屋町という京都随一の飲み屋街に、

ひっそりとオープンした女装BAR一条だが、

ママ一条聖子さんの人間性や

京都の室内女装子さんを取り込み、

一気に全国レベルで有名な女装BARとなった。

 

物珍しさから、京都の外国人観光客も

一見で出入りするなど

ある種閉鎖的な女装業界のなかで

異端児的な存在ですらあった。

 

その頃には、周りの料理店も女装子さんの取り込みを開始し、

女装BAR一条のある小道が「姉小路(あねこうじ)」

というところから、

女装BAR一条近辺の三条木屋町は、

「かまこうじ」と呼ばれるようになった。

 

そして、2010年、京都南区の鳥羽に

京都発女装サロン adejo(アデジョ)が登場。

京都だけでなく、滋賀県や

大阪府北部の女装子さん、純男さんの

業界コミュニティの中心として賑わいをみせた。

 

その頃になると、

北の木屋町 女装BAR一条で飲んで、

南のadejoや鳥羽離宮跡公園へ移動する、

という京都女装業界の黄金ルートができた。

 

 

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■大阪からも京都へ。全盛期を迎える京都女装業界

 

この頃には、大阪からも多くの女装子さんや

純男さんが京都を訪れるようになっていた。

「京都は結束が強くて、アットホームだ」

と当時大阪在住の純男さんは話していたという。

同時期、大阪でも女装イベントの開催や、

ルームの興隆で盛り上がりをみせていたが、

一方で誹謗中傷や派閥争いなど、

コミュニティが大きくなるがゆえの弊害も生まれていた。

そんな中で当時の京都は、「ONE京都」

といわんばかりの結束具合で、

とくに目立った争いなどもなく、

平和な女装業界発展を遂げていた。

この頃には、

三条木屋町、通称かまこうじ近辺の飲食店も

女装子さんが出入りするお店が多くなっていった。

 

BAR黒うさぎ(現在も営業中)が女装子さんの出入り店となったり、

古くからのニューハーフパブ 美女と野獣なども

女装子さん向けのライトなメニューを開始するなどした。

かまこうじで飲んで、adejoや鳥羽離宮跡公園へいく、

黄金ルートがまさに全盛を迎えていた。

このまま更なる京都女装業界の発展・・・

を誰もが望んでいたが、

それは突然縮小の一途をたどることになる。




つづく


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この記事書いた人:栗原千秋

女装歴10年のほぼフルタイム女装子ライター。
年齢は30歳くらい♪
座右の銘は「女装子ほど、男気を忘れず。」
好きなものは「にんにくの素揚げ」
関東在住ながら、名古屋、大阪を拠点に
フリーランスで雑誌執筆などをしている。
口癖は「仕事ください♪」


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