京都の女装業界史(2) 2012年-2015年(衰退から安定へ)
| 京都の女装業界史(1)では、京都女装界の 盛り上がりを衰退を記録した。 BAR黒うさぎ(現在も営業中)が 女装子さんの出入り店となったり、 かまこうじで飲んで、adejo(あでじょ)や 鳥羽離宮跡公園へいく黄金ルートが まさに全盛を迎えていた。 それは突然縮小の一途をたどることになる。 それは突然の人気ルームの閉店がきっかけに。 |
■人気ルーム「adejo(アデジョ)」の閉店

京都の女装業界の発展の大きな原動力となったのが、
京都の女装ルーム「adejo(アデジョ)」である。
京都在住の女装子さん数人が中心となって
結成されたアデジョは瞬く間に、
京都、大阪北部、滋賀県の女装業界人に
なくてはならないスポットとなった。
毎月のようにイベントが行われ、
女装組合の有名女装子さんたちも
女装業界発展のため盛り上げた。
第1期アデジョが終わりスタッフの総入れ替えが
行われ、第2期になるとさらに人気が加速。
アデジョで始めた女装をした女装子さんの卵が
続々と誕生した。
今でもアデジョ出身の女装子さんで
女装を楽しんでいる「アデジョ出身」女装子さんは
関西地方を中心に多いという。
しかし、2013年1月になり、アデジョは突然閉店した。
理由はスタッフの本業の多忙から、
アデジョの運営がまわらなくなったという。
アデジョの閉店は業界に波紋を呼び、
多くの方々がその閉店を惜しみ、
「私がアデジョを引き継ぎます」という後継者まで
現れたが、閉店した。
■アデジョの閉店から大阪に人が流れた
アデジョはある意味、「ハブ」的な
役割を果たしていた。
木屋町の「かまこうじ」の飲み屋街に行って、
アデジョに帰る、
鳥羽公園に行ってアデジョに帰る、
などという使い方をする方も多かった。
また、「アデジョにいけば人がいる」という空気で
人が人を呼ぶ「ひとけ」効果もあった。
しかし、アデジョの閉店により、
「ひとけ」がなくなりはじめていた。
それにより、新大阪ゴシップや、新世界など
「ひとけ」の多い場所へ人が流れ始めたのだ。
さらにおいうちをかけるように・・・
■京都女装の原点「女装バー一條」の閉店
アデジョ閉店から数か月後、
京都女装界の原点ともいうべき「女装バー一條」も
閉店した。
厳密にいえば、ママである一條聖子さんのお店の移転
であるが、(女装バーメイトへ移転)
かまこうじからは多くの女装業界人が消えたのだ。
そのころには、「京都の女装子さんたちはどこへ消えた!?」
ともいわれるほど、
アデジョやかまこうじに足しげく通っていた女装子さんたちや、
純男さんたちが姿を消した。
「ひとけ」がなくなれば、人はいなくなる。
京都の女装業界はある意味、衰退の一途をたどったのである。
■現在はメイトや横大路、北大阪を中心に安定を見せている
一時期、ひとけがなくなったように感じた
京都女装業界であったが、
メイトや横大路運動公園、
北大阪の公園を中心に集まっているという。
さらにはかまこうじのお店、
あぐれまさんや黒うさぎさんも健在で、
一部の女装業界人は通っているという。
新たに、京都の縄手(三条川端四条川端近辺)
にソウルバーがオープンするなど、
新たな盛り上がりもみせている。
先日はアデジョのメンバーでひさしぶりに集まろう!
という企画「アデジョ同窓会」もメイトで行われた。
そこには100人近くのアデジョ時代の女装業界人
が集まったという。
女装子Sさんは「アデジョで女装して以来はじめて女装した」
という。
一時代が終われば、また新たな時代がくる。
京都女装界は衰退したのではなく、
ONE京都という結束は非常に強く、
今も残っているのだろう。
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![]() | この記事書いた人:たこそのもの 女装子大好きライター。 純男34歳。大阪府在住。 夜な夜な関西のハッテンバを車でまわっている。 好きなものは「たこ焼き」 本業は某会社の営業マンで、 一日2箱もすうヘビースモーカー。 学生時代と前職で雑誌の編集などを担当。 夢は女装子さんと結婚すること。 |