性はグラデーション-性の多様性とセクシャルマイノリティ@女装学

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社会は性別を「男か女か」に分けています。

でも女装業界と接しているととくに、

「性はそんな単純な2分では語り切れない」ということを

肌で感じます。

セクシャルマイノリティである「女装子さん」の中でも

いくつかの種類に分かれるくらいの、

「性」っていったい何なんでしょう?



■セクシャリティとジェンダー


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よく「ジェンダーフリー」とか

「ジェンダーの多様性」などという言葉を

耳にすることがありますが、

「ジェンダー」とは何でしょうか?


セクシャリティとジェンダーでもお話しましたが、
社会的役割の性のことです。


「女性だったらこうあるべき」とか

「こうだったら女性らしい」という

社会認知的にある性のイメージのことです。

そして、それとは別に生物学的に分類

された性をセクシャリティと言います。

なので、性転換手術をしていない、

GIDさん(性別違和、性同一性障害)は、

セクシャリティは男性ですが、

ジェンダーは女性として行動していきたい方となります。

では、なぜわたしたちは性といえば、

「男女」という性別2分だと捉えているのでしょうか?



■社会を効率的にまわすための「男女2分」という性別


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女装業界に接していると、

本当にさまざまな性と接します。
女装子さんのみを性対象とする純男さん、

女装子さんのみを性対象とする女装子さん、

純女さん、純男さんを性対象とする女装子さん・・・

などなど。

こうなると、多様性がありすぎて、

そもそも、「男か女か」という二分は正直、

生物学や社会(学)が勝手にやってることであって、

この人は女、この人は男などと

定義する必要があるんですか?

という疑問が浮かびます。


そのこの答えは簡単で、

社会を効率的にまわすためです。
人間は社会を形成して、集合知で文明を発展させてきました。

人間は集合して一定の社会を形成するようになると、

必ずどのような分野でも多数派と少数派に分かれます。

社会は、多数派にあわせたほうが都合がいいので、

多数派にいろいろなものが社会の常識や慣習というもので

統一されていきます。


そのひとつが「男か女か」の性の分類、すなはち性別だったわけです。

身体的特徴、セクシャリティは大別すれば、

性器が突起していれば「男性」、

性器が突起していなければ「女性」

となるわけです。

さらに、そのセクシャリティに対応するかたちで、

社会的な役割としての性別、ジェンダーも

付加されました。


男性が得意なことは男性に、女性が得意なことは女性に、

というかたちで「男性はこう”あるべき”、

女性”らしい”」などというジェンダーが形成されました。

なので、性は社会を効率的にまわすためにあるだけなんです。



■なので、性という言葉を借りるなら、性は色のグラデーションのような「多様」そのもの。


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なので、個人単位でこの人の性は何か?と考えたときに、

そもそも性なんてないんです。
「その人」なんです。

でもそれだと共通言語がなくなってしまうので、

あえて「性」という言葉を借りるとすれば、

性は多様そのものなんです。


性対象すらないアセクシャルの方、

要は性欲がわかないのです。

性的対象が自分自身のみの方、

男性が2割くらい好きで女性が8割くらい好きな方、


女装子さんしか愛せない方、
要は純女さんや純男さんは性対象ではないのです。


例をだせば枚挙にいとまがありません。
個人個人によって性は全く違うのです。



だから、よく女装子さんになった方のことを

「目覚めた」と言いますが、

社会が社会を効率的にまわすために定義した

「性別」から解放された結果、

本当の自分らしい性が表出してきたということなんです。

目覚めたのではなく、開放されたんです。


性はグラデーション。

何色ともつけがたい、
人それぞれの多様そのものなんです。





■マイノリティがマジョリティ社会を生きるという宿命


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といいつつも、

人間はだれもが、

社会というものがないと生きていくことはできません。

100円でジュースを買って、

のどの渇きを簡単にいやせるのも社会があるから。

女装を安全に楽しめるのも社会があるから。

友達と携帯電話でやりとりをし、

遊びの約束をし、予定通りに遊べるのも

社会があるから。

人は、一人で生きているようで、

1人では
誰一人として生きていくことはできません。
社会があるから、人は便利な世の中で、

生きていくことができているのです。


その社会が、今のところ男女2分を

根本ルールとして動いているのです。


なので、

個人の信条や生き方、思想、アイデンティティとして

性はグラデーションという考えの下、

「性はない、私は私だ、私らしく」

と生きていくのは自由なのですが、

それを社会にそのまま求めて、

それが認められて当たり前だという考え方は

間違っていると思います。



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わたしたち女装業界人は、

ノンケさんたちという社会の多数派(マジョリティ)に

少数派(マイノリティ)として、

社会に対して、
わたしたち各人の個人的思想、アイデンティティを

押し付けるのではなく、

(要は、自分のマイノリティな性を認めてもらって当たり前、

差別すんな!という態度ではなく)

存在を知らせ、偏見を是正する主張を発表し、

訴えかけていかなくてはならないと思います。



女装の世界ってこんなに素晴らしいんだよー

こんなに面白いんだよー

生まれたときから自分のことを女性だと思っていて、

男性のからだに自分が閉じ込められちゃっているんだよー

ぼくは男性を愛しています。それはあなたたちが異性を

愛する気持ちと何ら変わりない気がします。



このような主張を、

社会に訴えかけるしかないんです。

それが、

社会というマジョリティに従う共同体において

生きるマイノリティの宿命です。



もちろん、それを放棄してもかまいません。

自分の内なるアイデンティティは、

自分がそうと思えば、それが正しいのです。

誰にも否定できるものではありません

その代わり、社会においては、

社会のルールに従わなければなりません。


私栗原も草の根の女装子です。

ノンケとしていわゆるマジョリティな感覚で

生まれてきたかった・・・・と

現実を嘆いたことも何度かありました。
でも、それじゃ何も変わりません。


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人生は与えられたカードの中で、

それを最大限どのように生かすかを考えて

勝負するしかないのです。

そして、そのカードは不平等に与えられるものなのです。

はじめから、お金持ちの家に生まれる者もいれば、

貧乏な家に生まれる者もいる。

ノンケさんとして育つ者もいれば、

極めてマイノリティな性として育つ者もいます。


性はグラデーションという

多様性をもとにした自分のアイデンティティと、

マジョリティに従う社会、

その中でマイノリティな自分。

その中でも、女装業界というマイノリティな社会を見つけ、

居場所を見つける方もいれば、

自身で運命を切り開き、SRS(性別適合手術)をし、

マジョリティな社会で生きる方もいれば、

マジョリティな社会では真の自分を殺し、

空き時間で真の自分に戻る時間を確保する方もいます。



性はグラデーション。

それをどうとらえ、

どう生きていくのかは、

みなさんひとりひとりが、

自分の人生の主役として、

選んでいくほかないのです。


 
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この記事書いた人:栗原千秋

女装歴10年のほぼフルタイム女装子ライター。
年齢は30歳くらい♪
座右の銘は「女装子ほど、男気を忘れず。」
好きなものは「にんにくの素揚げ」
関東在住ながら、名古屋、大阪を拠点に
フリーランスで雑誌執筆などをしている。
口癖は「仕事ください♪」

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Comment

女装人

性はグラデーションというのは左翼的な考え方で、
反権威的な意図で、
左翼にありがちな「空想的」な議論が多いが、
この記事は社会とのバランスも「現実的」な解がちりばめられ、
非常に共感できる部分が多かった。
また読ませてもらいます。

2015.10.23 Fri 10:37

名無し

私の性別はなんなんだろうって
考えてたけど
自分は自分なんですね
社会とはまた別で
ちょっと整理がつきました

2015.05.28 Thu 03:58